川原達二の十中八九N・G

11/Ⅶ.(日)2010 

7月はお誕生月なので、「ザ・ヒストリー・オブ・川原」と題して思い出にひたることにする。
その第三弾。

僕が小さい頃、父親は雷おやじだったので~父は大正生まれで戦時中は樺太や満州などで苦学したらしい~
いつも怒ってたので、僕は「早く死ねばいいのに」といつもいつも思っていた。

ただ、父が死ぬと生活が困るのは判っていたから、あの世から送金されるシステムができないものかと考えた。

逆に、母が死んだら僕はどうやって生きて行っていいか判らない。                                                     だからカルメン・マキの「時には母のない子のように」というヒット曲を聞くとやるせない気持になり、
母が死んだら後を追おうと決意した、小学校低学年の頃である。

母が死んだ後に、死ねる場所をいくつかみつける。                                                               僕は泳ぎが出来ないので、海や川は候補から外した。
死ぬことより溺れることの方が恐ろしいからだ。

茅ヶ崎駅から少し離れた所に開かずの踏切があり、そこなら確実だと考えた。                                              何度か下見に行った。
ある日、線路の脇の草むらにエロ本が捨ててあった。
中味を見た。オバさんがセーラー服姿で載っていて、吐き気をもよおしたが、
掲載されてるマンガがシュールで面白かった。

誰かが定期的にエロ本を捨てる場所だったらしく、僕は「エロ本の墓場」と名付け、
いつしかそこに本を読みにいくのが愉しみに変わっていた。                                                                                            
エロスがタナトスに勝利したのだ。
後日、茅ヶ崎ライオンズクラブあたりが「有害図書ポスト」みたいなものを設置して
エロ本の不法投棄はなくなった。
そして僕はその頃には、あまり真剣に死について考えなくなっていた。

話は父に戻るが、父は胃癌でリタイアしてから僕に歩み寄った。
僕が普段着ていたつなぎ(ダウンタウン・ブギ・ウギ・バンドが着てたような奴)を自分も着たいと言うから、
藤沢の東急ハンズで買ってきてあげ、そろいで着て喫茶店に行ったりした。

医者に止められてるはずのタバコも、僕が吸ってる銘柄のsometimeに変え、
「メンソールは茅ヶ崎に合う」と僕のチョイスを絶賛した。

父が死ぬ直前~兄はもう医者になっていて僕は医学生だった~僕は毎日、
学校の実習を終えるとお見舞いに通った。

父には「癌だ」と言わない約束だった。母も兄も、内緒にしておくのがよいと判断したのだ。
僕は医学校で「尊厳死」なんてものを習ったばかりだったし、大体嘘をついてるのが嫌だったから、
ある日、2人きりの時にすべてを教えた。

父も医者だったから判っていたようで、
「達二、告知というのは大事なことだ。何でも告知をすればいいものでもない。
その時、その人によって、告知すべきか、すべきでないかと考えるのも医者の仕事だ。
主治医が告知しない方がいい、と言うのだから、今の話は聞かなかったことにする」
というようなことを言われた。
だから、僕もこの件は誰にも言っていない。今、始めて言った。

父が死んだのは、進級を左右する大学の定期考査の直前で、
まったくもって迷惑な時期に死んでくれたものだと恨んだものである。

BGM. 青山和子「愛と死をみつめて」

2 Responses to “ザ・ヒストリー・オブ・川原③~「エロスとタナトス」”

  1. U can't touch this

    祖父・母の死ですが、同じような思い出があります。
    祖父が先に亡くなったのを、叔母が祖母に伝えました。
    それは間違っていると指摘し、どうすればよいかと逆に聞かれました。
    それは兄弟・姉妹が話し合って決めることだと言い、今でも間違っていないと思っています。
    祖母はそれから短い期間で亡くなりました。

  2. kawahara

    コメント、ありごとうございます。

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